男女の思考の特性
今日は男女の思考の特性について。
各人の持つ価値観の中身が、必ずしも論理的なものでないことは、信仰や道徳的確信を考えてみれば明らかでしょう。
ひと頃、何かを主張するのに、「私の独断と偏見によれば…」と枕を振るのが流行しましたが、それにも一応の根拠はあったのです。
しかし、どんな中身の価値観であれ、他人を説得するためには、論理の形で表現されなければなりません。
そして「独断と偏見」と断る場合だって、人は他人の共感と納得を期待してしゃべっているのです。
そのようなものとして論理に注目するとき、とくに近年は、「男の論理・女の論理」と対比する論議が多いだけに、その点を避けて通るわけにはいかないと思います。
ごく一般的な理解でいうと、「男の論理」とは経済優先・成長発展志向の主張であるのに対して、「女の論理」とは福祉優先・保護平等志向の主張といったことになるようです。
これは派遣 千葉で働く女性たちも共感してくれるところでしょう。
しかし、せっかく「価値観の表現としての論理」に注目したのですから、「主張の差」より、もう少し深いところにある「思考の営みの特性」を見分けていきたいと思います。
そのために、いくつかのキーワードがあります。
その一つは「責任」という言葉でしょう。